2つの「家族」アルバム―中野家・矢波家―1933年頃
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場所:横浜市中区
一番手前の小さな女の子が私(4歳)、一人おいた隣が姉(7歳)です。実家は弁天通りで中野洋服店を営んでいました。二階ではミシン5台を置いて中野洋裁女学院を開いていました。下のお店で注文をいただいたり、戦争が激しくなると将校さんのズボン用に裁断された布を担いで持ってくる人がいて、それを縫っていたのを覚えています。当時の平沼市長のお嬢さんなどもいらしていました。(協力:矢波澄江さん)