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重量物の荷役風景 -株式会社 宇徳(撮影時期不明)

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場所:

大正後期、横浜港。
鉄道移送されてきた樺太庁鉄道納入の客車の艀(はしけ)積み光景。


「横浜開港当時の艀については、これといった記録や資料がないので明確なことはわからないが、長さ25尺(約7.6m)、幅4尺5寸(約1.4m)くらいの漁船に似た荷足船や五大力船といった和船が活躍していたらしい。1887年(明治20年)頃になると、それまでの和船に替わって、丸みをおびた長い箱のような形(甲板と二つのハッチを持ち、航海中の風波にあっても海水が浸入しない堅牢な構造)をした達磨船が登場してきた。このほかに神奈川伝馬と呼ばれる、砂糖・外塩・外炭などを工場に運ぶ目的の艀も造られ、達磨船が曳船を必要としたのに対し、帆走も可能であった。
【横浜市史稿】によると、1910年(明治43年)現在の横浜港の艀・曳船の状況は、五大力船767隻、達磨船704隻、曳船50隻。ただし、集計には荷足船・神奈川伝馬などが入っておらず、艀については2種類に纏められているため、詳細は不明。
明治末期、陸上輸送は馬力を用いる時代であったので、東京への貨物の輸送や横浜港内の回漕には艀は重要な手段であり、大いに活躍した。東京港が開港に指定されたのは、後の1941年(昭和16年)であり、それまではすべての輸出入貨物は横浜を経由し、税関も横浜にしかなかったため、通関業務もすべて横浜で行われていた。」(以上、当社「宇徳100年史」より)

UTOCさん

投稿者:UTOCさん
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