• ホーム
  • みんなの写真
  • 自分のアルバム
  • 年表&地図
  • 動画

特集記事

よみがえる昭和 港・まち・くらし - NPO法人設立へ向けたシンポジウムを開催

よみがえる昭和 港・まち・くらし - NPO法人設立へ向けたシンポジウムを開催

 「よみがえる昭和 港・まち・くらし~横浜の記憶を写真で残すためのシンポジウム~」が、来る2011年2月8日にヨコハマ創造都市センター(略称:YCC 横浜市中...

「横浜歴史研究会」を研究する-在野歴史研究家たちの想い

「横浜歴史研究会」を研究する-在野歴史研究家たちの想い

 酷暑から一転して突如冬のような寒さになるなど、異常気象が頻繁に話題となった2010年。そんな中ホッと一息つけるおだやかな秋晴れのある日、みなとみらい線・日本...

野毛にちぐさがあった!

野毛にちぐさがあった!

ちぐさアーカイブプロジェクトの軌跡  かつて横浜・野毛に小さな喫茶店があった。名前は「ちぐさ」。コアなジャズ愛好家ではなくとも多くの人が一度はその名を聞いた事が...

横浜は「小さなアメリカ」だった

横浜は「小さなアメリカ」だった

「フェンスの向こう側」 進駐軍の接収 1945年8月30日に横浜入りした連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥によって米軍による占領が開始され、横浜地区占...

べーリック・ホールの歩み 第2章

べーリック・ホールの歩み 第2章

~魅力的な場であり続けるために~ -イベントのマンネリ化を防ぐ- その華やかで美しい外観から、観光名所として多くの人が訪れるべーリック・ホール。しかし、現在の...

べーリック・ホールの歩み 第1章

べーリック・ホールの歩み 第1章

1930年、イギリスの貿易商べリック氏の邸宅として建設されたこの建物。一歩足を中に踏み入れると、まるでお嬢様になったような気分になる女性も少なくないだろう。暖...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第7章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第7章

桜木町から野毛へ 【 野毛坂 】 桜木町駅は、背後に控える三菱造船所や野毛へと通う人々の玄関口であった。現在の桜木町駅は、みなとみらいへと向かう人々の流れが多い...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第6章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第6章

横浜公園から伊勢佐木町へ 【 ゲーリック球場前(改修前の横浜球場)とフライヤージム(右) 】 横浜公園、伊勢佐木町へと広がるエリアは、昔から市民の憩いの場所であ...

日系人が語る 移住地の「食」

日系人が語る 移住地の「食」

- 日本食"まがい"からのスタート - 【 朝食 】 「食は人間の生活のもっとも大切な基礎。海外で生活を始めるとき、言葉や生活習慣などさまざまな壁を感じることが...

横浜を愛した建築家 - 咲壽 栄一(さくじゅ えいいち) -

横浜を愛した建築家 - 咲壽 栄一(さくじゅ えいいち) -

ここに数点の設計図がある。開港記念横濱會館(現:横浜開港記念会館)の設計コンペへのこの応募作品は、当時若手の建築家として、数々の建築設計に優れた才能を見せていた...

風の写る写真

風の写る写真

【 ポリネシア全域で祭られる精霊tiki(ティキ) 】 目で見えるものは、容易に信じられ、見えないものは信じられ難い。 「見えないもの・・・」それは、亡霊のよ...

日系人と海外移住資料館 第3章

日系人と海外移住資料館 第3章

これからのヨコハマの役割 【 「ぶらじる丸」横浜港出港風景 (C)商船三井客船(株) 】 100年以上にわたる日本の移民の歴史を紐解くと、世界情勢に翻弄されなが...

近代から現代へと続く激動の日本を見続けた卒業アルバム

近代から現代へと続く激動の日本を見続けた卒業アルバム

横浜・山手に100年の歴史を刻んだ外国人学校、セント・ジョセフ・カレッジ 【 1938年当時のべーリック・ホール前のセント・ジョセフ寄宿生 】  1859年の横...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第5章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第5章

山手界隈、外人墓地周辺 山手は、古くから外国人居留地としての歴史があり、どこか日本の住宅地とは空気が違っていた。本牧のバター臭さともちょっと違う、落ちついた印象...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第4章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第4章

港から山下公園へ 現在の小港、十二天、本牧あたりの沖は、1952(昭和27)年ごろはヨットのメッカだった。ヨットハーバーには、大小のクルーザーをはじめ50隻くら...

横浜 かをり 第3章

横浜 かをり 第3章

「小さな外交」の立役者 【 「横浜 かをり」現在の外観 】 「横浜かをり」の本店がある山下町70番地は、実はヨコハマ・ホテルの跡地でもある。1860年にオープン...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第3章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第3章

元町編~ハイカラさんが暮らす街~ 開港の昔から、元町はハイカラさんの街だったようだ。居留地として異国への門戸を開いた歴史上の必然もあったのか知れない。開港初期、...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第2章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第2章

中華街編~風水と歴史が紡ぐ異空間~ 地図を見るとすぐ分かるが、中華街だけは周辺のエリアに比べて方角の基準となる道筋が明確に違っている。中華街だけは周囲になじまず...

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第1章

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第1章

本牧編~芝生の向こうはアメリカ~ 本牧の歴史は戦後からだ。進駐軍の住宅群が広がり、そこには青い芝生、おしゃれな広い家、大きな外車があり、当たり前だが英語が飛び交...

横浜 かをり 第2章

横浜 かをり 第2章

洋菓子開発と日本の心 【 「横浜 かをり」伊勢佐木町2丁目時代 】 終戦から8年、ようやく1953年には関内地区の接収がすべて解除された。しかし、せっかく返還...

横浜 かをり 第1章

横浜 かをり 第1章

戦後のヨコハマのなかで  1859年の開港以来、世界への窓口として機能してきた横浜。しかし、第2次世界大戦によって甚大な被害を受け、その復興には長い時間を要した...

日系人と海外移住資料館 

日系人と海外移住資料館 

第2章 ヨコハマから旅立つ人々 【 「ぶらじる丸」横浜港出港風景 横浜市消防局のブラスバンドが演奏 1972年 】 第二次世界大戦が終結し、日本人の海外移住...

伊勢佐木町ものがたり

伊勢佐木町ものがたり

第1章  ハマのノスタルジア・・・辛くも良き時代の伊勢佐木町 【 家族写真(姉妹と一緒に)1958年頃 伊勢佐木町2丁目 ビル屋上にて(背景は吉田中学校) 】 ...

日系人と海外移住資料館

日系人と海外移住資料館

第1章 日系人とヨコハマ 【 横浜移住センター外観(1970年頃) 】  Y150の会場である「トゥモローパーク」や、ショッピングセンターの「ワールドポーター...

「横濱モボ・モガを探せ!」プロジェクト

~横浜におけるデジタルアーカイブの先進事例 BankART1929  渡邉曜さんに聞く~ 横浜港(大さん橋)にて | 1940年頃 | 石川 清 ◆「横濱モボ・...

浜っ子の愛する横浜・三溪園 第3章

浜っ子の愛する横浜・三溪園 第3章

-三溪園の戦後、人々の想い- 「戦後の臨春閣の惨状 その1」 三溪園の建造物は戦後の昭和29年から33年にかけて復旧修理工事が行われた。写真は、修理報告書に掲載...

浜っ子の愛する横浜・三溪園 第2章

浜っ子の愛する横浜・三溪園 第2章

文化サロンとしての三溪園 三溪園は、多くの文化人や芸術家からも愛された。ドイツの美術史家フリーダ・フイッシャーやアメリカの美術収集家チャールズ・ラング・フリーア...

海と戯れる 横浜ドラゴンボートレース

海と戯れる 横浜ドラゴンボートレース

~ふれ合える海をもとめて~  その昔・・・と言っても、そんなに遠い話しではなく、昭和30年代頃まで、横浜には、「ふれ合える海」があった。 潮干狩りをしたり、海苔...

人の縁が円になる

人の縁が円になる

~野毛のふぐ料理屋から人の輪が~  女将が語る福家三代の歴史からは、ちょいワルが魅力的な光を放っていた大正、昭和のハマの匂いが立ち上げってくる。セピア色の写真を...

浜っ子の愛する横浜・三溪園

浜っ子の愛する横浜・三溪園

【大池と女】 水面に映る桜を小山の頂きから眺めるようにふんわりと立つ三重塔を正面にして、蛇の目傘を手にした女性の後ろ姿。情緒あるこの絵はがきの風景は、明治末の...

ITを活用した郷土史のデジタルアーカイブ化の取り組み

ITを活用した郷土史のデジタルアーカイブ化の取り組み

~我が町の歴史再発見、そして次代への継承を目指して~...

戦火をくぐり抜けた1冊のアルバム -池田家の記憶から-

戦火をくぐり抜けた1冊のアルバム -池田家の記憶から-

今日はゆっくりと、私の祖父が残した記憶の一片をたどってみよう。 1945(昭和20)年5月29日 白昼。 米軍により横浜市の中心地域が大空襲に見舞われた。B-...

おじいちゃんは肖像画家

おじいちゃんは肖像画家

牛之甫少年 ぼくのおじいちゃんは1889年、明治22年の生まれで、職業画家だった。名前は佐藤牛之甫(うしのすけ)。山梨県東山梨郡上万力(かみまんりき)村で農家の...

先人達の精神を次の世代に

私の四代前の祖父、小此木彦四郎が埼玉県大里郡泰村から横浜に出てきたのは明治の中頃である。開港以来、横浜に新天地を求めて日本全国から青年が集まった。わが先祖もそう...