• ホーム
  • みんなの写真
  • 自分のアルバム
  • 年表&地図
  • 動画

レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第3章

元町編~ハイカラさんが暮らす街~

開港の昔から、元町はハイカラさんの街だったようだ。居留地として異国への門戸を開いた歴史上の必然もあったのか知れない。開港初期、横浜村が外国人居留地に指定されると、昔からの住民たちは元町あたりにほとんど強制的に移住させられた、という。その後さらに外人人口が増えて、居留地が手狭になると、外人さんたちは山手エリアへと拡大していく。彼らの生活用品や食品を提供したのが元町商店街の始まりであった。戦後、進駐軍が山手や本牧に大挙居住するようになると、さらに加速する。平和が戻ってからは、今度はファッションの発信源として憧れを集めた。ハマトラである。元町はいつもおしゃれでちょっとおスマシして歩きたい、そんな街だ。


昭和20年代中頃の元町。当時、町を訪れるのは、ほとんどが山手に住む外人さんで、英語の看板なども多く、ハイカラな空気が漂っていた。進駐軍関係者も多かった。



元町らしい英語の看板に混じって、ジャーマンベーカリーのカタカナ看板が見える。家具や、食器、洋服、Yシャツ、パンなどの店が並び、日本人の姿はあまり見られなかった。元町SS会が、一括して何億円とまとめてヨーロッパから仕入れたときもあった。


当時の元町は、日本とは思えないほどのハイカラな町で、ショッピングしているのは、ほとんど外人さん。普通の日本人はちょっと入りにくいほどのエキゾチックな町であったという。これは、浮世絵の店であろうか。店先にちょこんと座っているワンちゃんまでがなぜかハイカラに見える。


可愛らしい外人の女の子。こんな写真を撮りに出かけていた生駒さんは、相当なモダンボーイだったのだろう。クルマはもちろんアメ車ばかり。



レディスファッションの店。GRAPEという店名がよく分かる。当時の初冬のファッションは、ロングコート、オーバー、ロングスカートが全盛(写真左)。外人のおばちゃんがお買い物。このおばちゃんも、流行のファッションを身に着けているようだ(写真右)。


雨の元町風景。キタムラハンドバッグ店の看板が見える。キタムラは120年前に和装小物の店として始まったのがルーツである。オリジナルデザインのバッグを製造販売するようになったのは、1972(昭和47)年からのこと。





ikoma2.jpg (語り手)生駒實さん
生粋のハマっこ。学生時代から押入れの中を暗室にして、写真を始める。機械いじりが好きで、終戦後は、野毛の露店で外国製のライター修理の手伝いも。
進駐軍に囲まれた街の風景が目まぐるしく変化する中で、再び写真への関心が高まる。東京の千代田写真学校で写真術を学ぶ一方、山下公園などのモデル撮影会に参加するなど、カメラを肩に街を撮り歩いた。
現在は、横浜市の「なかく街の先生」として郷土史研究、フィギアスケートボランティア指導もこなしつつ、写真研究家として街の変化を撮りながら観光ガイドを行っている。

生駒實さんのアルバム

(文責:銀二)

その他の記事

よみがえる昭和 港・まち・くらし - NPO法人設立へ向けたシンポジウムを開催

「横浜歴史研究会」を研究する-在野歴史研究家たちの想い

野毛にちぐさがあった!

過去の記事を見る