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べーリック・ホールの歩み 第2章



~魅力的な場であり続けるために~

-イベントのマンネリ化を防ぐ-

その華やかで美しい外観から、観光名所として多くの人が訪れるべーリック・ホール。しかし、現在のように公開されるようになったのは、つい最近のことだということをご存じだろうか?

そもそもべーリック・ホールは、1930年にJ.H.モーガン氏によって建築されてから、べリック氏の邸宅として利用されてきた。しかし、第二次大戦後の1956年になると、べリック氏の遺族により宗教法人カトリック・マリア会に寄贈される。以後44年にわたって、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されてきた。



ところが、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールは2000年に突然閉校。校舎は取り壊されてしまったが、寄宿舎であったべーリック・ホールは横浜市に寄贈された。横浜市は、この敷地を元町公園の一部として買収・整備し、建物と共に2002年から一般公開することになった。



現在は、庭園・建物ともに魅力的なスポットとしてその名を知られるようになったべーリック・ホール。しかし、館長の布川榮子さんはこう語る。

「ずっと愛され続ける場所であるために、退屈な場になることだけは避けたいんです。」

たとえ人気のイベントがあったとしても、飽きられてしまったことに気づかなければ人は離れていく。そう布川さんが考えるのには、理由があった。

山手西洋館では、毎年来館者の少なくなる梅雨の時期に、「山手西洋館フェスタ JUNE~花と器のハーモニー~」というイベントが行なわれている。山手西洋館7館で共催されるもので、テーブルコーディネートとフラワーアレンジメントを組み合わせた展示は開催当初から好評だった。



「それぞれの西洋館で違いを出すために、毎年テーマを決めました。例えば、2002年のテーマは"色"。エリスマン邸は白、イギリス館は黄色、というように決まりをつくることで、すべての西洋館を見てもらえると思ったんです。」

テーマは色のほかに、国や記念日などさまざま。毎年展示の傾向が変化することで、飽きられない工夫はしていた......はずだった。



-進化した西洋館を伝える方法-

「ところが、毎年来て下さる常連さんを中心に、なんとなく物足りないような顔をしている方が増えてきているような印象があったんです。テーマは変わっても、本質的には変化していないのかもしれない、と気づきました。」

キレイな花と器が飾ってある、というだけでは本当にマンネリ化してしまう。そう考えた布川さんは、2007年に変化を起こす。テーマを「JAPAN 西洋館と日本の器」と大きく変えて、伝統的な日本の器をアーティストにコーディネートしてもらったのだ。 「輪島塗や美濃部焼、ノリタケといった日本が世界に誇る器を、西洋館という舞台で表現したんです。ただ単にキレイなだけではなく、"文化の発信地"と言えるようなレベルの展示を目指しました。」



見た目に美しいことに加えて、文化的な意義が加わったこのイベント。2007年の来場者は52,402人と跳ね上がり、「花と器のハーモニー」は見事に進化を遂げた。

しかし、よりよいイベントに挑戦し続ける中でも、新たな課題が見つかったようだ。

「山手西洋館のこれからの課題は広報だと考えています。どんなに企画に力を入れても、それが伝えられなければ意味がありません。」



山手西洋館を管理する「財団法人 横浜市緑の協会」がウェブサイト内でそれぞれの西洋館やイベントを紹介したり、べーリック・ホールのスタッフが『山手通信』という冊子を定期的に発行したりしている。また、横浜市の広報誌にイベントの告知が出ることも多い。

「たしかに、まったく広報の手段がないわけではありません。でも、イベントの意義や魅力が上手に伝わっているかというと、話は別。スタッフに広報のプロがいるわけではないので、どんな場所にどのような広告を出せばよいか、まだ手探りの段階なんです。」

進化させたイベント、新たな西洋館の顔を伝える方法とは何か。魅力的な場であり続けるための努力は尽きない。



~西洋館を保存し続けるために~

文化財と呼ばれるような歴史ある建物は、街の魅力を左右するという意味でも重要な存在だ。そのため横浜市では、横浜らしい景観をつくりだしている歴史的建造物を「横浜市認定歴史的建造物」と指定することで、保存に力を注いできた。2000年に認定されたべーリック・ホールは、アーチ型の玄関や窓からも分かるように、スペイン風の建築様式が特徴の美しい邸宅だ。



このべーリック・ホールを建築したJ・Hモーガンは、アメリカに生を受け、1920年に日本フラー建築会社の設計技師として来日。ビルや学校、住宅など30を超える建物を設計しているが、そのうちの半数は横浜市内のものなのだとか。山手周辺だけでも、旧ラフィン氏邸である山手111番館、横浜山手聖公会、山手外国人墓地の正門などを手掛けたことで有名だ。



「建物を本当の意味で保存するためには、"見る"だけの場所に留めるのではなく、"使う"ことが大切だと考えています。」

 そう語る館長の布川さんは、文化的財産とも言えるべーリック・ホールでさまざまなイベントを企画してきた。日常的なコンサートや数々の講座などは、特別な場所を気軽に楽しめることからも人気が高い。

 そんなイベントのなかでも、定番となったのが「山手西洋館 世界のクリスマス」だ。毎年12月1日~25日にかけて、山手西洋館7館・旧山手68番館・テニス発祥記念館が連携して開催するこの企画。それぞれの館がテーマを持ち、担当のアーティストによって美しく装飾される。たとえば2002年のクリスマスでは、べーリック・ホールのテーマは「カナダ」。赤を基調とした飾り付けで、ポップコーンのオーナメントなどアットホームな雰囲気が特徴だった。この年、西洋館全体で86,574人の来場者を記録する。



開催当初は国別だったテーマも、年を経るごとにより具体的なものへと変化していった。 2007年のべーリック・ホールは、「フランス:150年前に想いをよせて」と題し、オペラ座などが誕生した時代のフランスをイメージして装飾された。同時に開催された「パリ・オペラ座の夕べ」「フランス花アレンジ」といった関連講座も人気を博し、西洋館全体の来館者数は175,275人と急増した。


"使う"という保存方法は、山手西洋館全体で成功しているように見える。しかし、西 洋館を保存することについては、賛否両論という現実もあるようだ。

「特に社会が不安定な時代には、文化財の保護そのものに否定的な声が大きくなってし まう傾向があると感じています。」

べーリック・ホールのような歴史的建造物を美しい状態で維持するためには、労力や費用を惜しむわけにはいかない。100年に一度の大不況と言われる今、西洋館の保存には困難が伴うこともあるだろう。

「経済システムが改善されることを含めて、社会が安定していることが必要なのではな いでしょうか。豊かな社会があってこそ、文化を継承しようというゆとりが生まれるのですから。」



建築家のモーガンは1937年に没して以来、山手外国人墓地で静かに眠っている。 今の日本を見て、彼は何を思うだろうか。

(おわり)


【巻末データ】
山手西洋館 事業報告(2000年、2002年、2007年度版)
(財)横浜市緑の協会

(語り手)
布川榮子(ぬのかわ・えいこ)
べーリック・ホール館長(山手事業所 所長代理兼任)。
西洋館を含む山手地区を魅力的なエリアにすべく尽力している。

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中西秀夫さんのアルバム

(執筆者)河村仁美


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