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レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第5章

山手界隈、外人墓地周辺


山手は、古くから外国人居留地としての歴史があり、どこか日本の住宅地とは空気が違っていた。本牧のバター臭さともちょっと違う、落ちついた印象。単なる高級住宅街ではない。学校や教会、広い洋館があったりして、そこに佇むだけでなぜかおしゃれな雰囲気を身にまとえる、そんな感じだろうか。

こんな街だからこそ、外人墓地はついに祖国に帰ることのなかった外国人の終の棲家というだけではない、お洒落ぽさを感じる。ここには、新橋と横浜(現在の桜木町)駅を結んだ日本初の鉄道新設の祖ともいえる英国技師、エドモンド・モレルはじめ、フェリス女学院の初代校長や生麦事件の犠牲者など多くの歴史上の有名人が眠っている。


旧女子商業前の道を少年が向こうから歩いてくる。奥に見えるのは、山手教会。 こんな普通の光景にも、山手は日本とはちょっと違う空気を漂わせて見せる。


山手本通り沿いで、山手風景を写生している人をパチリ。画を描く人の足元に、溶け残った雪の塊が見える。正面は個人の洋館だが、今はない。


同じく山手本通り。現在の山手十番館前から山手聖公会を望む。その手前を左に曲がると、ブリキのおもちゃ博物館がある。


フェリス女学院近くのバス停。US STOPの看板とそこに佇んでスクールバスを待つ少年が、外国映画の1シーンを切り取ってきたような雰囲気を感じさせる。フレーム外になるが、右手が山手教会だ。


セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ近くの路上で。右側には、現在は「喫茶店 えの木てい」がある。まるでモデルを配したかのようなこの1ショット。実はかなりの長い時間、雨の中でイメージどおりの傘をさした通行人が来るのを待っていたという。カメラマンとしての生駒さんの仕事ぶりが偲ばれる1枚だ。

 ちなみに、1901(明治34)年に開校し、横浜を象徴する学校として有名人の子弟も通っていたセント・ジョセフだが、2000(平成12)年にその歴史を閉じた。


山手外人墓地は、通常は一般人は入場できない。しかしここにある数枚は、おやっと思わせるショットだ。まず、女学生が入りこんでいる2枚は、ぜひ見学したいという熱心なリクエストに、管理者が特別に許可したものらしい。

墓地内からの撮影と思しき写真は、撮影者つまり生駒さん言うには「当時は、あちこちに顔が利いたので、それでちょっとね。」とおっしゃる通り、特別パスで入場して撮影したもの。いわゆる顔パス・・・今となっては、すでに時効?


ちなみに、外人墓地へは、土日、祝日の午後1~4時なら200円以上を寄付すると、ボランティアとして入場させてもらえる。あくまで寄付であり、入場料ではないので念のため。平日の午後5時までは、入って左側の資料館が見学できる。



ikoma2.jpg (語り手)生駒實さん
生粋のハマっこ。学生時代から押入れの中を暗室にして、写真を始める。機械いじりが好きで、終戦後は、野毛の露店で外国製のライター修理の手伝いも。
進駐軍に囲まれた街の風景が目まぐるしく変化する中で、再び写真への関心が高まる。東京の千代田写真学校で写真術を学ぶ一方、山下公園などのモデル撮影会に参加するなど、カメラを肩に街を撮り歩いた。
現在は、横浜市の「なかく街の先生」として郷土史研究、フィギアスケートボランティア指導もこなしつつ、写真研究家として街の変化を撮りながら観光ガイドを行っている。

生駒實さんのアルバム

(文責:銀二)

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