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レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第6章

横浜公園から伊勢佐木町へ

【 ゲーリック球場前(改修前の横浜球場)とフライヤージム(右) 】


横浜公園、伊勢佐木町へと広がるエリアは、昔から市民の憩いの場所であり、ショッピングの場所だった。中でも横浜スタジアムや開港バザー、初夏のチューリップなどで知られる横浜公園は、1876(明治9)年にイギリスの土木技師、R・H・ブラントンが設計図を描いたのがルーツとなっている。横浜には日本初が多いが、横浜公園にも洋式花火や国際親善野球など、いくつかの日本初がある。野球といえば、大リーガーのベーブ・ルースが来日した際、なんと今のYMCAまで場外ホームランを飛ばしたという。

【 松屋 】

 横浜公園から歩いて10分足らずの伊勢佐木町は、明治時代は芝居小屋が軒を連ね、大変な賑わいを見せていた。昭和はじめまでは、漫才や落語、コントなどの実演劇場もあった。生駒さんは、当時往復7銭の市電に乗り、早朝割引で3銭の活動を観にいったという。もちろん弁士の語る無声映画だ。午後には、通りで懐かしいバナナの叩き売りも見られた。戦後は、米軍関係者やハマのチョイ悪が夜毎集まる根岸屋、裏通りの福富町など大人の街でもあった。また最近は軒数が減ったが、伊勢佐木町はかつては映画館の密度が濃い、隠れたシネマタウンでもあった。


【 横浜地方裁判所 】

【 旧・日本大通り 】

横浜公園から海に向かって伸びる日本大通り周辺は、政治司法の中心部だ。写真中央の横浜地裁はエントランス部分を残して改修された。隣の地検本部も同様。現在は近代的なデザインの大きなビルに生まれ変わっている。


【 横浜市開港記念会館 】

横浜三塔のひとつである「ジャックの塔」を持つ横浜市開港記念会館は、1917(大正6)年に市民の寄付に基づいて建設された。写真のジャックの塔は、改修された現在のものと比べ、デザインが違っていることが分かる。館内2カ所のステンドグラスも一見の価値ありだ。


【 横浜税関 】

【 昔の運上所 税関の模型 】

県庁の裏手から赤レンガ倉庫に向かう道筋の交差点に、横浜三塔のひとつ「クイーンの塔」を持つ横浜税関がある。写真は開港100周年祭のときに、税関前に設けられた昔の運上所つまり税関の模型。開港当時は、こんな感じだったようだ。


【 開港100周年記念バザー  西川帽子店 】

今から50年前に開催された「開港100周年記念バザー」で、ひときわ大きな出店が目立つのが、西川帽子店。当時は紳士のほとんどが、中折れ帽を被っていたものだ。写真に写っている西川帽子店は、現在もニシカワ帽子店として、港南台と、ダイヤモンド地下街で営業している。


【 駐留軍の専用教会 】

【 開港100年祭記念式典 横浜平和球場(横浜スタジアムの前身) 】

横浜公園内に建てられた駐留軍の専用教会。現在の池の辺りにあった。 横浜公園には、他にも駐留軍の施設としてフライヤージム、ゲーリック球場などがあった。ゲーリック球場は、現在の横浜スタジアムの前身で、1934(昭和9)年にルー・ゲーリックら米大リーグのオールスターが来日、全日本チームと対戦したことに因んで、後年駐留軍に接収された際「ゲーリック球場」と名づけられた(後に、連合軍の接収解除に伴い、平和球場に改称)。


【 ゲーリック球場とフライヤージム 】

(俯瞰図)現在のYMCAビルの屋上から撮影。当時、YMCAは生駒さんの勤務先の分館として使用されており、戦災でも残った数少ない建物だ。


【 伊勢佐木町入口 吉田橋 】

【 進駐軍と日本人女性 】

【 吉田橋のお乞食さん 】

伊勢佐木町入り口に架かる吉田橋は、明治始めに建造され、橋脚を持たない鉄橋としては日本初であった。1911(明治44)年には普通の鉄筋コンクリートとなって、現在はその下を流れていた河は埋め立てられ、高速道路が走っている。GIや彼らの相手をする街の女達もこの橋を渡って伊勢佐木町へと通った。戦後しばらくは、物乞いの姿もよく見かけた。これも戦争の名残なのだろう。


【 伊勢佐木町入口 吉田橋 】

旧松屋デパートは、現在は中央競馬会の有料場外馬券場のエクセルとなっている。


【 伊勢佐木町入口 吉田橋 】

【 伊勢佐木町入口 吉田橋 】

オリンピックビルからの撮影。伊勢佐木町入り口の右側が、森永ビル、左側の黒っぽいビルが米軍病院として接収された松屋デパート。右側が野沢屋でその向こう側にもうひとつの松屋が見える。

(語り手)生駒實さん 生粋のハマっこ。学生時代から押入れの中を暗室にして、写真を始める。機械いじりが好きで、終戦後は、野毛の露店で外国製のライター修理の手伝いも。
進駐軍に囲まれた街の風景が目まぐるしく変化する中で、再び写真への関心が高まる。東京の千代田写真学校で写真術を学ぶ一方、山下公園などのモデル撮影会に参加するなど、カメラを肩に街を撮り歩いた。
現在は、横浜市の「なかく街の先生」として郷土史研究、フィギアスケートボランティア指導もこなしつつ、写真研究家として街の変化を撮りながら観光ガイドを行っている。

生駒實さんのアルバム


(文責:銀二)


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