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レンズから見えるハマの歴史と街の息遣い 第7章

桜木町から野毛へ

【 野毛坂 】


桜木町駅は、背後に控える三菱造船所や野毛へと通う人々の玄関口であった。現在の桜木町駅は、みなとみらいへと向かう人々の流れが多いが、当時は野毛さらには伊勢佐木町へと向かう人波が多かった。野毛は庶民の空腹を満たす町であり、野毛山動物園を目指して丘を登る家族連れの通過点、そして伊勢佐木町はビジネスと娯楽の街だった。
 野毛山はまた歴史的なエピソードの豊富な町でもある。横浜税関や町会所(市役所)の前身である横浜奉行所があり、財界人など著名人の別荘もあった。


【 旧・桜木町駅 】


桜木町駅前を通過する市電。この先の尾上町交差点は、桜木町方面から本牧方面と弘明寺方面の切替ポイントがあり、脇にはポイント切替操作所があった。かなりの高さがあり、電柱くらいの太さのはしごを使って登った先には、昔の電話ボックスのような5角形だか6角形の作業所があった。


【 朝の通勤ラッシュ 】


桜木町駅前の朝の出勤風景。駅前の通りを弁天橋方面に少し行った先にある読売新聞の入っているビルの屋上からの撮影。


【 簡易水上ホテル 】

【 簡易水上ホテル生活 】

戦後間もない頃、戦災で家を失った市民のための臨時措置として、桜木町周辺の河に浮かぶはしけを簡易水上ホテルとして利用していた。はしけは、岸壁から沖合いに停泊した大型船まで荷物を運搬するのに使われており、だるま船ともいわれた。
 後方中央(写真左)が伊勢佐木町の松屋デパート。当時、伊勢佐木町には松屋デパートは2つあり、これはその一方で、駐留軍の病院として接収されていた。


【 野毛本通 】

【 野毛入口の露天 】

野毛本通りの都橋方面から野毛山を見る(写真左)。

【 夜の野毛商店街 】

【 都橋付近 】

都橋脇には当時から交番があった。ネオンが点された夜景の中、本通りを望む。道筋の両側に並ぶ露店は、1955(昭和30)年頃まで庶民の生活を支えた。日用雑貨や時計、ライターなどの修理をはじめ、闇で取引される商品目当てに集まる人も多かった。戦後復興に向けた庶民のエネルギー源となったのである。1956(昭和31)年の経済白書では、「もはや戦後ではない」と表現され、以後東京オリンピックを目指して、復興と経済成長が加速し始める。


【 野毛山遊園地 】

【 園内の池 】

野毛の町を過ぎて丘を登ると、野毛山動物園。1951(昭和26)年に野毛山遊園地として開園した同園は、1952(昭和27年)のヒョウを皮切りに、多くの動物の繁殖に日本で初めて成功している。直近では、2009(平成21)年に、日本で初めてホウシャガメの繁殖に成功した。写真で見る限り、半世紀前と園内の様子がほとんど変わっていない。ゾウ舎やキリン舎、さらには多くの水鳥が生息する池など、今もそのままだ。野毛山動物園は、横浜市内でもっとも変わっていない場所かもしれない。


【 人気のゾウ舎 】

【 人気のゾウ舎 】

ゾウ舎はいつも動物園の人気スポットだ。それにしても当時の人出は大変なもので、人々の娯楽の殿堂だったことが伺える。野毛には貯水場もあり、相模川から引いた水を野毛山の頂に集めて、市民の水道に供給した。


【 野毛山遊園地へ 】


野毛山の入口、現在の横浜市立図書館の手前に大きなアーチ看板がかかっている。現在のみなとみらいで操業していた三菱重工横浜造船所が主催した社員旅行である。当時は動物園や遊園地巡りが社員旅行で、しかもこんな横断幕を掲げた時代だった。なお山下公園に係留されている氷川丸は、1930(昭和5)年に横浜造船所で建造された。


【 野毛山遊園地の遊具 】


開園当時は、動物園だけでなく遊園地でもあった証ともいえる、回転式のヒコーキ塔。森永の看板が大きく見える。もっとも当時は何と呼ばれていたかは不明。


【 掃部山公園 】

【 港方向を見る井伊掃部頭直弼の銅像 】

野毛山を下り、入り口の交差点を左に曲がって10分ほど歩くと紅葉坂と掃部山公園がある。掃部山公園は、桜田門外の変で殺害された井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の職名を取って名づけられたもの。ここにあった井伊家の庭園が横浜市に寄付されれたことも由来となっている。開港に尽力した彼の功績にちなんで、銅像は港に向かって建てられている。


【 神奈川県立図書館 】

【 神奈川県立図書館 】

【 神奈川県立図書館 】

掃部山公園に隣接する紅葉坂の頂は、県立図書館や青少年センターなど、神奈川や横浜を代表する文教地区となっている。坂の下から頂までは、珍しい総石畳の造りだ。県立図書館に隣接する音楽堂は、1954(昭和29)年に日本初の本格的音楽ホールとして開館した。ロンドンのロイヤルフェスティバルホールをモデルとしており、オール木造のホール内壁は国内最高水準の音響効果を発揮することで知られる。公園の一角にある横浜能楽堂は、1996(平成8)年の竣工で、関東地方では最古の能舞台を持つ。


【 伊勢山皇大神宮 】

【 巫女さん 】

【 行商さん(階段左) 】

紅葉坂を少し下ったところに、横浜総鎮守、伊勢山皇大神宮がある。初詣や七五三では人出でにぎわう参道だが、ふだんの人出は多くはない。これは晩秋の11月頃の参道風景。ぽつんと忘れられたような雰囲気で何を売っているのか、おばあさんが一人、ひっそりと座っている。

(語り手)生駒實さん 生粋のハマっこ。学生時代から押入れの中を暗室にして、写真を始める。機械いじりが好きで、終戦後は、野毛の露店で外国製のライター修理の手伝いも。
進駐軍に囲まれた街の風景が目まぐるしく変化する中で、再び写真への関心が高まる。東京の千代田写真学校で写真術を学ぶ一方、山下公園などのモデル撮影会に参加するなど、カメラを肩に街を撮り歩いた。
現在は、横浜市の「なかく街の先生」として郷土史研究、フィギアスケートボランティア指導もこなしつつ、写真研究家として街の変化を撮りながら観光ガイドを行っている。

生駒實さんのアルバム


(文責:銀二)


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