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横浜 かをり 第2章

洋菓子開発と日本の心


【 「横浜 かをり」伊勢佐木町2丁目時代 】


終戦から8年、ようやく1953年には関内地区の接収がすべて解除された。しかし、せっかく返還された土地は、その区画も権利関係も不明な状態になっており、すぐに都市としての復興が始まったわけではなかった。それでも徐々に建物や交通施設が復旧され、1960年代後半になると、"都市デザイン"という観点から大規模な整備事業が始まる。現在の横浜の形がつくられはじめていた。

そんななか、1970年に「横浜かをり」は山下町70番地へ移転していた。都市デザイン事業が始まっていたとはいえ、まだまだ実際には空き地の多い時代。現在は観光地でありビジネス街でもあるが、当時の山下町には横浜スタジアムも県民ホールもない。店の向かいにある中消防署以外には、桜がその姿を誇るばかりだった。当時の様子を現社長の板倉敬子さんはこう語る(以下同)。

「にぎわっていた伊勢佐木町とは違って、何もない場所にぽつんと店がある状態。県庁の職員の方から牛乳の宅配を頼まれるばかりで、最初の数年は大変でした。」

そこで、赤字覚悟のビジネスランチやケータリングなど、当時としては画期的なサービスを始める。徐々に、山下町でも「横浜かをり」の名が広まっていった。

そんなとき、転機が訪れた。1975年に、当時神奈川県知事になったばかりの長洲一二氏が店を訪れる。

「ブランデーを飲んでいらっしゃったので、サービスでトリュフをお出ししたら、美味しいとたくさん召し上がったんです。いくつかお土産におつつみしたら、今度は知事の奥様から30箱もの注文をいただきました。」


【 「横浜 かをり」店内 長洲氏が当時トリュフを絶賛したその場所は、現在も客席のひとつとして利用されている(写真右下) 】
 
【 現在の店内の様子 / 撮影者 シチューさん 】


急いでトリュフ用の箱と説明書きをつくり、届けたのだという。これがきっかけとなり、店頭での販売を開始。本格的なトリュフは、すぐに評判になった。ところが、職人気質のベーカー(パンや菓子専門の職人)は、量産にもレシピの公開にも応じてくれなかった。

「しかたがないので、自分で研究したんです。仕入れている材料、製品の味や見た目、そして香り......。ようやく納得できるものが仕上がり、現在も販売しているトリュフの原型となりました。」


【 「横浜 かをり」の洋菓子の出発点ともいえるトリュフのチョコレート 】


そのトリュフが西武デパートの催事場で取り上げられたことが契機となり、現在も「横浜かをり」の顔であるレーズンサンドやブランデーケーキが生まれた。いずれも、板倉さんが研究し、近所の奥様方と手作りで生産していったものだ。


【 「横浜 かをり」の人気商品のひとつ、レーズン・サンド 】
 
【 県の木「イチョウ」よりヒントを得て発案されたイチョウのチョコレート。紅葉するイチョウを、ペパーミントとオレンジビター味の2種類で表現 】


1980年以降、横浜の街並みは大幅に整っていった。みなとみらいが開発され、歴史的な建造物を活かした街づくりがはじまっていく。

現在の姿に近づく横浜で、1991年に誕生したのが桜ゼリーだった。桜風味のゼリーに、八重桜の砂糖漬けを入れたこの菓子。桜湯を連想させる美しさに、日本人はもちろんのこと、海外からの客もが心を打たれた。


【 屋号の由来からヒントを得て誕生した桜ゼリー 】


「そもそも『横浜かをり』の屋号は、日本の魂(こころ)を歌った本居宣長の『敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花』という和歌が由来なんです。日本の象徴である桜と、洋菓子のゼリーを融合させるというアイデアは、ここから得ることができました。」

西洋文化を素直に受け入れると同時に、自分なりのアレンジをほどこす。

「横浜かをり」が洋菓子を開発していく姿は、ある意味で非常に日本的だったと言えるのかもしれない。


(3章へ続く)

(画像提供)
「かをり」さんのアルバム http://www.yokohama-album.jp/picture/view/157
「シチュー」さんのアルバム http://www.yokohama-album.jp/picture/view/81

(語り手)
板倉敬子
かをり商事(株)代表取締役社長
動物、植物など生き物、自然をこよなく愛するお人柄で、 神奈川芸術文化財団常務理事、横浜美術館協会理事など多数兼任され、幅広くご活躍されている。

横浜 かをり
http://www.kawori.co.jp/home/index.html

(執筆者) 河村仁美


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