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ITを活用した郷土史のデジタルアーカイブ化の取り組み

~我が町の歴史再発見、そして次代への継承を目指して~


 横浜市港南区上永谷にある曹洞宗の貞昌院。安土桃山時代の天正10年(1582年)から実に430年も続く歴史を持つ寺院で、今、ユニークな活動が行われている。それが、ITを活用した郷土史のデジタルアーカイブ化への取り組みだ。

 禅寺とデジタルアーカイブという、イメージを重ね合わせるのが難しい取り組みについて、副住職である亀野哲也さんはこう語る。「横浜市港南区は、これまでに大規模な住宅開発が行われた地域であり、過去の情景とともに記憶が失われつつありました」。

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3/22に行われた記念シンポジウムで取り組みの紹介をする貞昌院副住職 亀野 哲也 さん


貞昌院では、何年も前から継続的に寺院周辺の航空写真を撮影しており、亀野さんはそれらの写真と地図を何枚もコンピュータソフトで重ね合わせ、上永谷地区の大規模開発の変遷を視覚化したデータ化した。「ひとつの写真にまとめてみると、この地域がいかに大きく変わったかがわかりました。開発前からの居住者も年々少なくなっており、このままでは過去の記憶が失われてしまう恐れがありました。とくに写真など、貴重な映像遺産を何とか残せないものかと・・・」。

 「明治時代に開校した小学校や寺社、また古くからある旧家などには、さまざまな写真資料が埋もれています。歴史的にも貴重なこれらの情報を、デジタル化したいとも思っていました」。亀野さんは、劣化や損傷が進む歴史的文化財や地元に古くから伝わる伝統芸能や技術といった無形文化財を、デジタルアーカイブとして記録・保存し、後世に継承する必要があったと熱く語る。
竈のある台所:昭和46年の上永谷駅付近の農家の台所。この5年後に上永谷駅が開業。



武相国境と鎌倉古道という歴史的地理を背景に

 現在の横浜市港南区は、東半分が武蔵国、西半分が相模国となるエリア。2つの国を分ける国境線は、追浜~瀬谷までは分水嶺(山の稜線)と重なっている。「ちょうど私の寺のすぐ近くに、この分水嶺が走っています。しかも、この地域は『いざ鎌倉』の時に馳せ参じるための鎌倉古道も通っていましたから」。

 
茅葺の民家:現在の上永谷駅近辺。昭和40年代後半にも茅葺の民家が谷戸に多く見られた。この5年後に上永谷駅が開業。現在の上永谷駅周辺:馬洗橋より現在の上永谷駅方面を望む。写真の奥に写っている山は丸山台宅地造成のために削られてしまう。


 元々、港南区を中心とする地域には、郷土史や文化財などを調査し、研究する多くのグループがそれぞれ別個に活動していたが、2007年4月に港南歴史協議会が発足。亀野さんの貞昌院も参加団体のひとつとして、地域の歴史や文化など互いの情報を交換し、それらを地域に公開し、また記録・保存する活動を推進している。_MG_8764.JPG


 亀野さんは、写真資料のデジタル化とともに、アーカイブ化した映像を活用した歴史を学ぶ会などの郷土史講演会や、各種の講座を年10回程度開催している。また、地域の今日の姿を体系的に映像で記録し、郷土学習への活用と次世代への継承を図るために、航空写真や寺院内のライブビューカメラなどによる定点観測も継続的に行い、港南歴史協議会のウェブサイト上での映像ライブラリー構築も目指している。



デジタル化することは目的ではなく、あくまでも手段

 副住職としての重責を担いながら、地域のためのデジタルアーカイブ化に取り組む亀野さんだが、その一方で写真などの映像のデジタル化には、危惧も感じているという。「今や、デジカメや携帯で写真を撮ることが当たり前になり、コンピュータの詳しい技術がなくても、誰もが簡単に映像素材をデジタル化して残すことが可能になりました。でも、それらの情報が個々のパソコンや携帯の中で完結してしまい、外に出ることなく終わってしまうのではないかとも感じています」。

横浜港開港120周年:横浜港開港120周年行事として、1980年(昭和55年)6月13-15日に東横浜-山下埠頭間を三往復したSL

 アルバムに貼られた写真を家族が眺めながら、思い出話に華を咲かせたり、遠くに離れた親戚縁者や代々の先祖に想いを馳せる。たとえ1枚の写真でも、それを互いに共有し、時あるごとに閲覧することで、そこに会話というコミュニケーションが生まれる。そんな写真の持つ価値を、亀野さんは大切にしたいと語る。これまでに蓄積された写真などの映像資料を収集し、整理し、編集し、そして共有の価値として新たに発信していく。そのための手段として、デジタルアーカイブという手段があるという考えだ。
 由緒ある禅寺の後継ぎとして生まれ、早稲田大学の理工学部を卒業後は、東京都水道局の計画部でのサラリーマン生活も経験した亀野さん。現職の貞昌院副住職となった後も、早稲田大学大学院で国際情報通信を研究した知識を最大限に活かしながら、町の歴史再発見と次代への継承を目指している。「記録が消えれば、やがて人々の記憶もなくなってしまうでしょう」。その眼差しの先には、郷土への愛情と未来への願いが確かに見える。_MG_8918.JPG
(執筆者 齊藤信幸)

プロフィール
亀野哲也 さん 貞昌院副住職

1965年生まれ、早稲田大学理工学部卒業。東京都水道局に入庁、同局計画部などに在籍した後、退職。 曹洞宗大本山総持寺安居修業後、96年より現職。2001年早稲田大学国際情報通信研究科修了。 02年曹洞宗宗務庁職員。05年SOTO禅インターナショナル事務局長。07年民生児童委員。

貞昌院ホームページ http://teishoin.net

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