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人の縁が円になる

~野毛のふぐ料理屋から人の輪が~

 女将が語る福家三代の歴史からは、ちょいワルが魅力的な光を放っていた大正、昭和のハマの匂いが立ち上げってくる。セピア色の写真を紐解きながら語ってくれた酒井怡玖枝(いくえ)さんは、ふく料理やうなぎ、どぜう料理の店、福家の女将であり、二代目として小柄な体で片時も休むことなく、きびきびと元気に店を切り盛りしている。fukuya_1.JPG
福家二代目女将の酒井怡玖枝さん

 野毛・福家が現在の野毛2丁目の地に落ち着いたのは、2005(平17)年11月である。その前は、野毛本通りだ。この時に、ふぐだけでなくうなぎやどぜうも商うようになった。さらにさかのぼると、野毛3丁目から常磐町に居を構えた時代、そして創業の地、関内は尾上町へとルーツをたどることができる。

 
創業ビル屋上で 初代夫婦がチンを抱いて地鎮祭


創業者である先々代の酒井芳太郎さんが尾上町に3階建てのビルを構えたのは1931(昭6)年。芳太郎さんは、実は料理の世界の人間ではない。慶応義塾を卒業して銀行マンとなった。当時は、慶応ボーイというだけでもてた時代。しかも野球部出身で銀行マンとくればエリートだ。実家が恵まれていたこともあって、かなり遊びも盛んだったらしい。釣りが好きで、ふぐ料理の店を始めたのもそれがきっかけ。旨い魚を食いたい、人にも食わせてやりたい、との思いがあったのだろうか。現在の有楽第一ビルの場所に3階のビルを建てて店を始めた。女将によれば、1階が料理屋で、2階がビリヤード場、3階と屋上が住まいだったようだ。今で言うペントハウス。ちなみに、ふぐ料理の世界では、「ふぐ」を「ふく」と読み替える慣わしがある。「ふぐ」は当たる(こともある)。どうせ当たるなら「ふく」つまり「福」のほうがいい、というわけだ。福家という店の名も、これに由来している。
創業ビル隣りのモンキーバー

 さて、創業のビルの隣にはモンキーというバーも開くなど、ずいぶんとハイカラだった。この頃ビリヤード場に通っていた常連の中に、後にプロとして売り出す天田選手がいた。だいぶあとに、TVを見ているとき、この天田選手が映ると、先代の母が「あっ、天田だ。天田が出ている。」と云って、当ビリヤードで腕を磨いたことを懐かしそうに語ることもあったという。
創業ビル2階のビリヤード場

 芳太郎さんは、店の跡継ぎとして猛夫さんを養子に迎える。そして後に女将は、この猛夫さんの許へ嫁いでくる。1957(昭32)年10月のことであった。「先々代は遊びが盛んで、結局それが過ぎて店を手放し、常磐町に移ることになるんですけど、主人は、対照的に真面目一筋でしたねえ。そこを見込んで養子にしたんでしょう。」と女将は語る。商家に嫁ぐのはご苦労もあったのでは、と尋ねると「いえ、姑が本当に優しい人で、私はとてもかわいがっていただき、仲良くさせてもらいました。」と答えてくれた。
人力車にて姑とその姑

 芳太郎さんの道楽は筋金入りだったようで、当時、関内で一、二を競う花形芸者を囲っていた。なんと、同じ慶応ボーイの弟も張り合うようにやはり花形芸者を囲った。そういう道楽亭主を支えた妻だからこそ、嫁へのいたわりもあったのだろう。男の遊びをさりげなく受け止め、陰で支える女たち。気ままさを信頼と絆で包み込んでしまうそんな時代のおおらかさがあった。そうした空気に惹かれたのか、福家には多士済々な人々が集まり、ハマの夜の賑わいを見せていた。
慶応ボーイの初代 お座敷にて

 人の縁が集まって、人の円になり拡がっていく。そんな福家の伝統は、尾上町から常磐町を経て野毛の福家となってからも連綿と続く。野毛3丁目でふぐ料理の看板を掲げてからは、津田文吾元神奈川県知事にずいぶんと贔屓にしてもらったようだ。ふぐだけではなくどぜうもやってみたらどうかと、勧めたのも津田知事だという。現在の福家の看板にふぐとともにうなぎ、どぜうが並ぶのは、知事のおかげだったのだ。その後、県政の代が変わってもこの絆は受け継がれた。若いお客様が、「今度宴会の幹事をやることになって、どうやって仕切ったらいいんでしょうか。」と尋ねてくることがたまにあるという。そんな時「分からないからと素直に聞いてくれる。こっちも一生懸命お手伝いする。そういうお付き合いを大事にしてきました。」と語る女将。
「福家」新築祝い

 05(平17)年に野毛本通りにマンションが建つことになり、いまの地に移ってきたのも人の縁だった。きっかけは、息子の芳隆さん。マンション建設に伴う移転先を物色中、たまたま現在地にあった居酒屋、中将のご主人が亡くなったのを機に奥さんが店を縮小して移ることを耳にした。友人の不動産業者と、場所を確認していたときのこと。ひょっこりその奥さんと出くわして、以後話はとんとん拍子。実は、06(平18)年暮れにご主人の猛夫さんが亡くなった際、福岡から飛んできてくれたのを筆頭に、芳隆さんの友人が、ずらっと並んで参列してくれた。友人たちは異口同音に、「親父さんを送るのに何を置いても出席しなければ。俺たちは学生時代から芳隆の家にはほんとうによく足が向いた。楽しい思い出ばかりだ。」と述べていた、という。
店頭にて創業者 酒井芳太郎さん

「フライにパン粉がひっつくように人が集まってくるんですね。」そう語りながら、嬉しそうに三代目となるわが息子とその嫁、千佳さんを見つめる女将。人間大好き家族。野毛のふく料理、福家はあったかい人の縁が集まって円になる、そんな店だった。


写真提供:ふぐ料理屋「福家」

ふぐ料理屋「福家」
〒231-0064 横浜市中区野毛町2-97
TEL 045-231-4896
営業時間 11時30分~13時30分・17時~22時


(文責:銀二)

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