伊勢佐木町が出来たのは、横浜開港から14年目の、1875年(明治7年)5月の事。
現在の1丁目辺りに造られた市街地が、伊勢佐木町と名付けられた。
名前の由来については、これまで諸説があったが、近年発見された資料により、伊勢佐木町一帯の道路を整備した、伊勢屋中村次郎衛・佐川儀衛門・佐々木新五郎の、三人の屋号から名付けられたと明らかになった。
それから134年、伊勢佐木町は、震災、戦争、接収を潜り抜け、人々と、喜びや悲しみを分かち合いながら、親しみ愛され続けて来た。
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伊勢佐木町が出来て3年目の、明治10年のこと。 2丁目に「伊藤組」という名の、麦わら帽子やシャツなどの、当時のハイカラ品を扱う唐物商が開店した。初代店主は、伊藤徳蔵氏。 店の隣には「電気館」という映画館があり、多くの人々が訪れ賑わっていた。 3代に渡り営まれたその店は、幾多の困難を乗り越えながらも、伊勢佐木町と、良き時代を共にしてきた。 関東大震災で店舗は焼失し、復興してから「伊藤組洋品店」と改名して、帽子と洋品の店として繁盛するが、その後戦争が始まり、木造の建物は空襲で焼け広がるのを防ぐ為の強制取り壊しに遭ったが、近くの場所に仮店舗を儲け営業を続けた。 ハマの商人の逞しさ、並々ならぬ商いへの想いが伺える。 戦争・接収当時の店主は、2代目の伊藤徳二郎氏。 戦争中、一家は上大岡に疎開していたが、戦後(昭和25年頃)伊勢佐木町に戻り、現在の2丁目67番地の店舗兼住宅で暮らすようになった。 初代の店があった場所は、米軍のフライヤージムになっていた。 |
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「当時戦後すぐの時代は、ほとんどの所が米軍に接収されていて、外国人ばかりでしたし、何を見ても当時としては物珍しく、2階の窓から伊勢佐木町の通りを一日中眺めていても飽きない光景でした。」 徳二郎氏の次女、吉澤節子さんは、瞳を輝かせながら当時の様子を語ってくれた。 節子さんは、好奇心旺盛な少女のようなお人柄。 写真や絵画の趣味を持ち、自身が見聞きしてきた横浜の歴史を後世に残したいと現在も活動なさっています。 戦時中には、こんなことも・・・。 伊勢佐木町のお店の前で撮った、七五三の写真。 七歳の少女の節子さんは着物を着て、手には千歳飴の袋を持っている。 千歳飴の袋は、今の平成の時代と変らないが、中には・・・。 「・・・飴じゃなくて、水鉄砲が入っていたの・・・」 遥かな時間が、そして一枚の写真が出来事を思い出に変えて呼び起こしてくれる。 |
あらゆる店の角には、着飾った娼婦が立ち、米兵などに声を掛けていた。 当時の帽子は羽がついていたり、顔の前には網目の薄いレース生地がたれていたりして、お店に買いに来るお客さんはそれはお洒落な人が多かったそうだ。
そんな話の最中にも「よく一際目立つ白い肌の娼婦らしき女の人が近くのメガネ屋さんの前に立ってたのを見かけてたのよ。 綺麗なお店の前にしか立ってなかったわ。 さらにその女の人はお偉いさんや将校らしい米兵しか相手にしてなかったようだったの、今思えばそれがメリーさんだったのかしら」 と節子さんは戦後すぐの厳しい時代を楽しかった思い出のようにニコニコしながら話してくれる。
米兵は優しく、日本の子供たちに飴などのお菓子をよくくれたそうだ。
店には、当時既に有名だった美空ひばりさんもお忍びで帽子を買いに訪れた事もあり、周りの人はあまり気づいていないみたいだったけど、良く覚えているという。
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戦争が激化する中、節子さんの一家は上大岡に疎開した。 伊勢佐木から比べると田園風景が広がり、なんという田舎まで来てしまったのかと思ったという。 同級生が川ではザリガニやカエルを取ったりして、時には食べたりして遊んではいるが、なかなかすぐには馴染めなかったほど、生活習慣の大きな差があったようだ。 戦争が終わって、伊勢佐木町のお店に居を移した後でも、お父様の気遣いにより、卒業まで電車で上大岡の小学校まで通っていた。 そこでもまた面白い話があってね、と戦後の混沌とした中でのエピソードをうれしそうに語ってくれた。 「・・・当時の同い年の子達は皆下駄や草履で学校に通っててね、でも私は電車に乗って学校に行くものだから、皮靴を履いていってたの。 そしたら周りの子たちからはひがまれたり馬鹿にされたものよ。・・・」 もしかすると横浜で初めて電車通学をした小学生の女の子だったのかもしれない。 |
戦争、接収という暗い歴史の中でも、伊勢佐木町は、少女の記憶に嫌な思い出を刻まなかった。
伊勢佐木町は、活気に溢れ、希望と驚きに満ち、誰もが和める町であった。
昭和28年には接収が解かれ、その後、共同ビルを建て、2丁目92番地に移転し、 「(株)いとう」と改名。
「(株)いとう」は、徳二郎氏の長男である三代目の店主が亡くなる昭和61年まで続いた。
歴史のある店が姿を消してしまうのは、実に寂しいもの。
昨年は、松坂屋も閉店してしまった。
時代の流れに伴い、町の景色は移り変わって行く。
それでも、伊勢佐木町には様々な人がやって来る。
ご存知でしょうか?
昼間、「ゆずおじさん」とも呼ばれている年配の二人組がギター片手に歌い、夜には、第二の「ゆず」を目指した若者がギターを爪弾きながら歌っているのを。
数ヶ月前、メリーさんを想わせる人を見かけた。顔を白塗りし、手には大きな紙袋を持ち、夕暮れの伊勢佐木町を後にして行った。
メリーさんを満開の花だとすると、その方は蕾のような感じだった。
これからも、伊勢佐木町の歴史は続いて行く。
人の足音の数だけ、歴史は刻まれるのではないだろうか。
(終わり 第2章へつづく)
| 写真提供・語り手:吉澤節子さん (吉澤節子さんプロフィール) 趣味は水墨画で、最近は水彩画の世界へ。 昔から心に残した風景を後世に伝えるべく写真を撮り続けている。 みんなでつくる横濱写真アルバムにも撮り貯めた写真をご投稿いただいてます。 セツコさんのアルバム |

